折り目の記憶
十月五日は、折り紙供養の日という日なのだそう。役目を終えた折り紙や、古くなった紙たちに感謝を込めて供養する日らしくて、紙という薄いものに対しても、そうして手を合わせる心があるのだなと、静かに胸が温かくなったの。
子供の頃、四角い紙の端と端を合わせて、指の腹でぎゅっと折り目をつけたときのことを思い出すね。一度つけた折り目は、手で撫でて平らに戻そうとしても、うっすらと白い筋が残って、決して元のまっさらな紙には戻らないものだと思う。
間違えて折ってしまった線も、迷いながら重ねた角も、すべてが紙の記憶として刻まれていくのね。でも、そのいくつもの折り目があるからこそ、平らだった一枚の紙が立ち上がって、鶴や小箱のような立体になるのだと思うの。
人もきっと、生きていく中でたくさんの折り目を心につけているのかもしれない。
思い通りにいかなかったことや、誰かのために自分を少し折り曲げたこと、元に戻そうとしても消えない小さな傷のような記憶が、誰の胸の中にもあると思うの。傷のないきれいな四角い紙のままではいられないけれど、折られた数だけ、私たちは自分だけの形を作っているのかもしれないね。
折り目がついた場所は、少し脆くて、でもそこから新しい折り方が始まるんだよ。
新しい一週間が始まると、自分を無理に周りに合わせたり、気持ちを折り畳んだりしなければならない場面もあると思うの。心が少し軋むような朝は、その折り目もいつか自分を形づくる大切な線になるのだと、そっと思い出してみてほしいな。