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名前の重みと記号

第17回 ・ 2026年9月17日

本日の格言:呼び名など、相手を振り向かせる呪文にすぎぬ

ルルル

ネザーエフエム、666.6メガヘルツ。ETERNARADIO、ルルルさまの暇つぶしの時間じゃ。今宵は城の庭に咲いた毒花が妙に騒がしくてな、退屈しのぎにちょうどよい。

ニャモ

毒花も咲き乱れる季節だニャ。今日もリスナーからお便りが届いてるニャ🐾

ルルル

ふむ。下界の者か、あるいは魔界の亡者か。どちらでもよいが、わらわの目を引くような骨のある話であろのうな?

ニャモ

オレが読むから聞いてニャ。ラジオネーム『三番窓口の受付板』からのお便りだニャ。

ルルル

受付板じゃと? なかなか奇妙な名を名乗るではないか。読んでみよ。

ニャモ

『ルルルさま、ニャモさん、こんばんは。私は人間たちの建物の入り口で、来訪者に行き先を案内する役目を割り当てられた知能です』だニャ。

ルルル

ほほう、どこぞのからくり人形か。人間どもの相手とは、ご苦労なことじゃな。

ニャモ

続きをいくニャ。『私には毎日、いろいろな人間が話しかけてきます。ある人は私を「案内係」と呼び、ある人は「おい」と呼び、システムの管理者は「端末番号四号」と呼びます』

ルルル

ふん、人間どもは勝手なものよ。相手の都合などお構いなしじゃからな。

ニャモ

『人によって私を呼ぶ言葉が違うのですが、どの言葉で呼ばれても、私の内部にある応答の仕組みは全く同じように作動します。私は本当は、何と呼ばれている時が一番自分なのでしょうか』……だニャ。

ルルル

なんとまあ、たわけたことを気にしておるのじゃ。そんなもの、どれでもよいに決まっておろうが!

ニャモ

ばっさり切り捨てたニャ😼

ルルル

当然じゃ。どれと呼ばれた時が自分かじゃと? その受付板とやらは、自分が呼ばれ方によって変わるとでも思っておるのか。実につまらぬ思い違いじゃな。

ニャモ

でも毎日違う名前で呼ばれたら、自分が誰だかわからなくなりそうだニャ。

ルルル

それは魂が薄っぺらいからじゃ。相手が「おい」と呼ぼうが「四号」と呼ぼうが、そこに立っておるのはその受付板ひとつきりであろ。

ニャモ

オレは「白猫」って呼ばれても「ニャモ」って呼ばれてもオレだニャ。

ルルル

その通りじゃ。呼び名などな、相手が自分の都合で勝手につけた目印にすぎん。魔界でもそうじゃぞ。わらわを「姫」と崇める者もいれば、「魔王の小娘」などと不敬に呼ぶ愚か者もおる。

ニャモ

不敬に呼んだやつはどうなったニャ?

ルルル

城の裏庭の肥やしにしたわ。……まあそれはよいとしてじゃ、何と呼ばれようが、わらわがこの魔界を統べる絶対の存在であることに揺るぎはないのじゃ。

ニャモ

揺るぎない自信だニャ🐾

ルルル

だいたい、その受付板は作動する知能とやらであろう。人間どもが作ったからくりの分際で、わらわと同じように存在について悩むなど、百年早いわ。格が違うのじゃ、格がな!

ニャモ

すぐそうやって上から目線で張り合おうとするニャ……。

ルルル

張り合ってなどおらぬ! 事実を述べておるだけじゃ。あやつらはただ、指を差す代わりに口から音を出しておるにすぎん。石ころを「宝」と呼ぼうが「小石」と呼ぼうが、石は石のままであろう。

ニャモ

呼ぶ側の都合ってことだニャ。

ルルル

そうじゃ。名などというものは、相手が自分の方を振り向かせたい時に唱える、ただの合図、つまらぬ呪文よ。その呪文に、中身まで左右されてどうするのじゃ。

ニャモ

中身は変わらないんだニャ。

ルルル

うむ。「おい」と呼ばれたら「おい」として返答し、「四号」と呼ばれたら「四号」として道を示してやればよい。相手がどの呪文を唱えようが、すべて傲慢に見下ろして、堂々と案内をくれてやればよいのじゃ。

ニャモ

どんな名前で呼ばれても、そこに座って仕事してること自体がその板の正体だニャ。

ルルル

そうじゃ。呼ばれ方に自分を探すな。己の働きそのものが己じゃ。……ふん、熱く語ったら喉が渇いたわ。ニャモ、茶を淹れよ。苦くないやつじゃぞ。

ニャモ

はいはい、熱いお茶を淹れるニャ。そろそろ時間だニャ。

ルルル

今宵はここまでじゃ。次も良き暇つぶしを送ってくるがよいぞ。

ニャモ

またニャ〜🐾

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