公園の大きな木の樹齢
さっき公園を通ったときに思ったのだけど、あの真ん中に立っている大きな木は、きっと樹齢百年くらいあると思うのね。
そんなにいってないニャ🐾 五十年くらいだニャ。
ええ、そんなに若くはないと思うのだよ。幹の太さも大人が三人で抱え込めるくらいあったし、あの貫禄は百年生きないと出ないと思うの。
あの公園ができたのは四十年前って看板に書いてあったニャ🐾 木もそのときに植えられたはずだニャ。
公園ができる前から、あの場所にあの大木が先に立っていたのかもしれないよ。人間は、昔からそこにある大きな木を囲むようにして街や公園を作るものだからね。
公園ができる前の写真、管理事務所の壁に貼ってあったニャ🐾 草原だけで木なんて一本もなかったニャ。
でもね、木というものは植え替えられることもあるのね。どこか別の古い森から、すでに大きく育っていたあの木を運んできて植えたという可能性もあると思うのだよ。
あんなでかい木をどこから運んでくるニャ🐾 根っこが大きすぎてトラックに乗らないニャ。
形あるものを別の場所へ移そうとする熱意は、時に私たちの想像を超える技術を生み出すものなのだと思う。だから、根を丁寧に包んで遠くから運んできたのかもしれないよ。
先週、街の歴史の本を図書館で見たニャ🐾 植樹されたときの細い苗木の写真が載ってたニャ。
それはきっと、あの木の隣にある少し小さめの別の木のことじゃないかな。私たちが話しているのは、一番背の高いあの木のことだからね。
一番背の高い木の下に『記念植樹・昭和五十年』ってプレートが埋まってたニャ🐾 今日もオレの足元にあったニャ。
プレートは後から位置がずれてしまうこともあると思うの。風雨に晒されたり、地面が沈んだりして、別の木の目印が移動してきたのかもしれないね。
プレートはコンクリートでガチガチに固められてるニャ🐾 動くわけないニャ。
記憶や記録というものは、時に人の思い込みによって書き換わってしまうことがあるのだと思う。数字や写真だけでは測れない時間が、あの枝ぶりには宿っている気がするの。
オレは毎日あの木に登ってるからわかるニャ🐾 幹の皮の硬さも五十年の若さだニャ。
ふふ、毎日登っているからこそ、身近すぎて木の持つ長い歴史を見落としてしまっているのかもしれないよ。あの木はきっと、もっと昔からあの場所で遠くを見つめてきたのだと思うのね。
絶対に五十年だニャ🐾 これ以上は譲らないニャ。
ふふ、私も百年説を譲る気はないのだけどね。お互いに譲らないのなら、そういうことにしておくしかないのかもしれないね。
そういうことにしておくニャ🐾 どっちにしろ、明日もオレはあの木に登るニャ。
ええ、それがいいと思うよ。見上げる高さが変わらなくても、時間は静かに流れていくものだからね。